阿部慎之助は、日本プロ野球界で輝かしいキャリアを築いた名捕手であり、読売ジャイアンツの顔とも言える存在でした。
2001年にプロ入りして以来、卓越した打撃力と堅実な守備でファンを魅了し続けた阿部選手は、数々のタイトルを獲得し、引退後もその影響力を発揮しています。
特に通算打点やホームラン数では圧倒的な実績を誇り、ジャイアンツの栄光を支えた彼の存在は、後輩選手たちにとっても大きな指標となっています。
そんな彼の年俸についても気になるところです。この記事では、上原浩治さんの現役時代の年俸について詳しく調査し、まとめました。
さあ、見ていきましょう!
上原浩治・プロフィール(WiKi)
名前 | 阿部慎之助 |
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生年月日 | 1979年3月20日(45歳) |
国籍 | 日本 |
出身 | 千葉県東葛飾郡浦安町(現:浦安市) |
身長 | 180cm |
体重 | 86kg |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 捕手、一塁手 |
阿部慎之助は、元実業団野球チーム・電電東京に所属していた阿部東司の第2子として誕生しました。母親がピーター(池畑慎之介)のファンだったことから、「慎之助」の名が付けられ、父親の影響で幼い頃から阪神タイガースファンでした。
父親は掛布雅之と同校でクリーンナップを組んでおり、阿部選手もその影響で野球に情熱を注ぎました。小学校低学年で目を悪くしたことで左打ちに転向し、中央大学進学後は強力な打撃力を発揮しました。
大学時代、東都大学野球連盟2部リーグで活躍し、チームを1部に昇格させました。また、1999年には日本ハムファイターズのキャンプに参加し、シート打撃で特大ホームランを放つなど注目されました。
2000年のNPBドラフトでは読売ジャイアンツから1位指名を受け、契約金1億円でプロ入り。以降、プロ野球界で長いキャリアを築き、ジャイアンツの中心選手として輝かしい成績を収めました。
引用元:日刊スポーツ
阿部慎之助・所属チームの経歴
所属チーム
2001 | 読売ジャイアンツ |
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2002 | 読売ジャイアンツ |
2003 | 読売ジャイアンツ |
2004 | 読売ジャイアンツ |
2005 | 読売ジャイアンツ |
2006 | 読売ジャイアンツ |
2007 | 読売ジャイアンツ |
2008 | 読売ジャイアンツ |
2009 | 読売ジャイアンツ |
2010 | 読売ジャイアンツ |
2011 | 読売ジャイアンツ |
2012 | 読売ジャイアンツ |
2013 | 読売ジャイアンツ |
2014 | 読売ジャイアンツ |
2015 | 読売ジャイアンツ |
2016 | 読売ジャイアンツ |
2017 | 読売ジャイアンツ |
2018 | 読売ジャイアンツ |
2019 | 読売ジャイアンツ |
阿部慎之助は、2001年3月30日の阪神タイガース戦で、読売ジャイアンツの新人捕手として23年ぶりに開幕スタメンに起用され、プロ入り初打席でいきなり4打点を挙げる活躍を見せました。
これにより、正捕手としての地位を確立し、長嶋茂雄監督のもとで127試合に出場し続けました。2002年には初の規定打席到達を果たし、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。2003年は右肩の故障もあり94試合出場にとどまりましたが、打率.303を記録し、初のオールスター出場も果たしました。
2004年は圧倒的な打撃力を発揮し、4月に月間16本塁打を放ち、日本タイ記録を樹立。シーズン終了後には33本塁打を記録し、巨人の捕手としてシーズン30本塁打を達成しました。
2005年には、シーズンを通して5番打者として安定した成績を収め、8月には一塁手としても出場しました。
2006年は故障の影響で打率3割を割り込みましたが、盗塁阻止率ではキャリアハイを記録しました。
2007年、阿部慎之助選手は主将に任命され、キャリアの新たな章が開かれました。彼の主将としての実績は、ただの成績を超えたものです。
初年度から彼はチームの柱となり、6月9日の楽天戦で2本塁打5打点という圧巻のパフォーマンスを披露し、その後も記録を次々と塗り替えました。2008年には、北京オリンピック予選でMVPに輝き、チームの成功に大きく貢献しました。
特に注目すべきは2009年、日本シリーズでの圧倒的な活躍です。彼はサヨナラ本塁打と決勝打でチームを日本一に導き、シリーズMVPに選ばれました。
2010年にはセ・リーグ初となる捕手のシーズン40本塁打を達成し、球団の歴史に名を刻みました。2011年のシーズンも、困難な状況にありながらチームを支え続け、ベストナインにも選出されるなど、主将としての責任を全うしました。
2012年には打撃タイトルを総なめにし、チームを日本一に導く決勝打で優勝を決定づけるなど、主将としての実力とリーダーシップを発揮しました。
2013年には通算2000安打を達成し、その存在感を示しました。引退までの間、怪我や調整の難しさもありましたが、常にチームを支え続けました。主将としての彼のキャリアは、成績だけでなく、その姿勢とリーダーシップによって、多くのファンとチームメイトに深い影響を与えました。
引用元:web Sportiva
阿部慎之助・年俸推移/現在の年俸
日本での年俸推移
2001(読売ジャイアンツ) | 1300万円 |
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2002(読売ジャイアンツ) | 3800万円 |
2003(読売ジャイアンツ) | 7800万円 |
2004(読売ジャイアンツ) | 7500万円 |
2005(読売ジャイアンツ) | 1億2000万円 |
2006(読売ジャイアンツ) | 1億4000万円 |
2007(読売ジャイアンツ) | 1億4000万円 |
2008(読売ジャイアンツ) | 2億4000万円 |
2009(読売ジャイアンツ) | 2億7000万円 |
2010(読売ジャイアンツ) | 3億5000万円 |
2011(読売ジャイアンツ) | 4億円 |
2012(読売ジャイアンツ) | 4億円 |
2013(読売ジャイアンツ) | 5億7000万円 |
2014(読売ジャイアンツ) | 6億円 |
2015(読売ジャイアンツ) | 5億1000万円 |
2016(読売ジャイアンツ) | 3億2600万円 |
2017(読売ジャイアンツ) | 2億1000万円 |
2018(読売ジャイアンツ) | 2億1000万円 |
2019(読売ジャイアンツ) | 1億6000万円 |
阿部慎之助の最高年俸
阿部慎之助さんの過去の最高年俸は6億円です!
まとめ
阿部慎之助選手の高年俸は、彼が過去に残した実績と成績、そして主将としての役割に起因しています。
プロ入りから数々の打撃記録を打ち立て、ホームラン王やゴールデングラブ賞を受賞するなど、その打撃力と守備力は一時代を築きました。
主将としては、チームのリーダーシップを発揮し、選手育成や精神的支柱としても大きな役割を果たしました。
これらの功績が彼の高年俸を支える要因となっていました。
2024年現在では読売ジャイアンツの監督として頑張っております!
監督としてもたくさんのタイトルを期待しています!
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