【2024どこよりも最新】上原浩治の年俸推移!所属チームの経歴とプロフィール(WIKI)

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上原浩治さんは、日本プロ野球界とメジャーリーグで活躍した伝説的な元投手です。巨人にドラフト1位で入団し、デビュー年から圧倒的な投球を見せ、チームのエースとして君臨しました。

その後、メジャーリーグに挑戦し、ボルチモア・オリオールズ、テキサス・レンジャーズ、ボストン・レッドソックス、シカゴ・カブスなどでプレー。特にボストン・レッドソックスでは、クローザーとしてワールドシリーズ制覇に貢献し、その名を世界に轟かせました。

上原の投球は、卓越したコントロールと打者を圧倒する冷静なマウンドさばきが特徴で、多くのファンを魅了しました。現役引退後も、解説者や指導者として野球界に貢献し続けています。上原浩治さんの名前は、今もなお多くのファンに愛され、語り継がれています。

そんな彼の年俸についても気になるところです。この記事では、上原浩治さんの現役時代の年俸について詳しく調査し、まとめました。

さあ、見ていきましょう!

目次

上原浩治・プロフィール(WiKi)

名前上原浩治
生年月日1975年4月3日(49歳)【2024年7月27日現在】
国籍日本
出身大阪府寝屋川市
身長187cm
体重87kg
投球・打席右投右打
ポジション投手

上原浩治さんは、実父がコーチを務める少年野球チーム「寝屋川アスナローズ」で野球を始め、中学時代は「明徳アスナローズ」でプレーしながら陸上部にも所属していました。

高校は東海大学付属仰星高等学校に進学し、1、2年時は外野手を務める一方で打撃投手もこなしました。3年生になると投手に転向しましたが、建山義紀の控えでほとんど登板機会がありませんでした。

高校卒業後、大阪体育大学の受験に失敗し、予備校に通いながらジムでトレーニングを積み、道路工事のアルバイトもこなしました。この経験が彼の人生において非常に重要であり、プロ入り後も「19」の背番号にその思いを込めました。

上原浩治・所属チームの経歴

日本での所属チーム

1999読売ジャイアンツ
2000読売ジャイアンツ
2001読売ジャイアンツ
2002読売ジャイアンツ
2003読売ジャイアンツ
2004読売ジャイアンツ
2005読売ジャイアンツ
2006読売ジャイアンツ
2007読売ジャイアンツ
2008読売ジャイアンツ
2018読売ジャイアンツ
2019読売ジャイアンツ

メジャーでの所属チーム

2009オリオールズ
2010オリオールズ
2011レンジャーズ
2012レッドソックス
2013レッドソックス
2014レッドソックス
2015レッドソックス
2016カブス
2017カブス
学生時代

上原浩治さんは、大阪体育大学に再度挑戦し、合格後すぐに野球部に入部しました。

1年目から主戦投手として活躍し、阪神大学リーグ優勝に貢献。大学3年生時には日米大学野球選手権大会で14三振を奪い、プロやメジャー球団の注目を集めました。

1997年のインターコンチネンタルカップでは、キューバ相手に勝利投手となり、最優秀投手賞を受賞。この活躍で自信を深めました。大学4年間で通算36勝4敗、リーグ優勝5回、最優秀投手賞4回など輝かしい成績を残し、ドラフトでは松坂大輔と並び注目選手となりました。

最終的に読売ジャイアンツを逆指名し、1位で入団。入団会見では「メジャーでやるにはまだ自信がない」と語り、背番号19を選択しました。メジャー挑戦を断念した理由として、スカウトからのアドバイスや親の心配が影響したと述べています。

巨人時代

上原浩治さんは1999年に毎週日曜日に登板する「サンデー上原」として注目を集めました。

前半戦で12勝を挙げ、新人では37年ぶりに15連勝を記録。シーズンを20勝4敗で終え、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手主要4部門を制し、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、沢村賞も受賞しました。

2000年は右太もも肉離れや交通事故により9勝7敗に終わりましたが、日本シリーズでの勝利に貢献。2001年も故障に悩まされながらも2桁勝利を記録。2002年には200イニング登板を達成し、17勝5敗で最多勝、最高勝率を獲得し、沢村賞とベストナインを受賞しました。

2003年には7試合連続完投勝利を挙げ、16勝5敗、最多奪三振を記録し、ゴールデングラブを受賞。2004年はアテネ五輪出場もありつつ13勝を記録し、最優秀防御率を受賞。

2005年にはメジャー移籍志願を表明するも契約交渉が難航し、9勝12敗と苦しいシーズンを過ごしました。2006年は100勝を達成するも8勝9敗に終わり、骨髄バンクへの支援活動を開始。2007年は抑えとして起用され32セーブを挙げ、プロで20勝と30セーブを記録した2人目の投手となりました。2008年にFA権を取得し、メジャーリーグ挑戦を表明。

巨人の逆転優勝に貢献し、西武との日本シリーズでも活躍しました。彼の実績は日本球界を代表するものとなり、2008年11月14日に正式にメジャーリーグ挑戦を表明しました。

レッドソックス時代

上原浩治さんはリリーフ転向後も安定した成績を残し、2010年は43試合で防御率2.86、13セーブ、2011年は65試合で防御率2.35、2012年は37試合で防御率1.75と活躍。2012年オフにはMLBの複数球団が争奪戦を繰り広げ、ボストン・レッドソックスと契約。

2013年、序盤の無失点記録やNPB/MLB通算50セーブ達成後、クローザーに指名され20セーブを挙げて地区優勝に貢献。ディビジョンシリーズでは嫌な相手と語るタンパベイ・レイズ相手に活躍。

リーグチャンピオンシップシリーズではMVPを獲得し、日本人初の受賞者となる。

ワールドシリーズでは日本人初のセーブを記録し、歴代最多タイの7セーブを挙げ、胴上げ投手としてチームを優勝に導く。2014年シーズンもクローザーとして活躍し、前半戦では防御率1.65を記録しオールスターゲームに出場。

後半戦に乱調を見せるも、シーズン通算で26セーブを挙げる。2015年は故障者リスト入りするもNPB/MLB通算100セーブを達成し、右手首の骨折でシーズンを欠場。2016年は50試合に登板し、防御率3.45を記録するも、地区シリーズで敗退しFAとなった。

上原浩治・年俸推移/現在の年俸

日本での年俸推移

1999読売ジャイアンツ1,300万円
2000読売ジャイアンツ6,600万円
2001読売ジャイアンツ7,600万円
2002読売ジャイアンツ1億600万円
2003読売ジャイアンツ2億1,000万円
2004読売ジャイアンツ3億円
2005読売ジャイアンツ3億5,000万円
2006読売ジャイアンツ3億4,000万円
2007読売ジャイアンツ3億1,000万円
2008読売ジャイアンツ4億円
2018読売ジャイアンツ2億円
2019読売ジャイアンツ5,000万円

海外での年俸推移

2009オリオールズ500万ドル(7億5000万円)
2010オリオールズ500万ドル(7億5000万円)
2011レンジャーズ350万ドル(5億2500万円)
2012レッドソックス425万ドル(6億3700万円)
2013レッドソックス425万ドル(6億3700万円)
2014レッドソックス900万ドル(13億5000万円)
2015レッドソックス900万ドル(13億5000万円)
2016(レッドソックス)900万ドル(13億5000万円)
2017カブス600万ドル(9億円)
1ドル150円で計算しています。

上原浩治さんはその実力と実績が高く評価され、キャリアを通じて高年俸を維持してきました。読売ジャイアンツ時代は1999年の1,300万円から始まり、2008年には4億円を達成。

その後のメジャーリーグ移籍後も、オリオールズやレンジャーズ、レッドソックス、カブスといったチームで活躍し、特にレッドソックス時代には2014年から2016年にかけて900万ドル(約13億5000万円)という高年俸を維持しました

これらの高年俸は、上原さんが常に高いパフォーマンスを発揮し、チームに貢献し続けた結果であり、その実力と信頼性を物語っています。上原の長年にわたる活躍は、プロ野球選手としての模範となるものであり、彼のキャリアの各ステージでの評価の高さを反映しています。

上原浩治・最高年俸

上原浩治さんの過去の最高年俸は13億5000万円です!

まとめ

上原浩治さんのキャリアは、その実績と高い評価に裏打ちされたものでした。読売ジャイアンツ時代から始まり、メジャーリーグのオリオールズ、レンジャーズ、レッドソックス、カブスといったチームでの活躍は、多くのファンと専門家から絶賛されました。

特にレッドソックス時代には、ワールドシリーズでの胴上げ投手としての功績や、多数のセーブを記録するなど、その実力は折り紙つきです。高年俸を維持し続けたことは、彼のパフォーマンスと信頼性がいかに高かったかを示しています。

上原さんのような選手は、野球界全体に大きな影響を与え、後進の選手たちにとっての模範となる存在です。今後もその功績は語り継がれ、多くの人々にインスピレーションを与えることでしょう。これまでの努力と成功に、心からの敬意を表します。

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