2024年5月11日、元サッカー日本代表の柏木陽介さんが長良川鵜飼で船頭としてデビューし、話題となっています。今年は長良川鵜飼で24人の船頭がデビューしています。
2021年にFC岐阜に完全移籍したことから、柏木さんは岐阜県が好きになり、岐阜を盛り上げたいという人々と話を進めていく中で、鵜飼が岐阜を盛り上げるために最も効果的だと考えました。そのため、1か月の研修と試験を乗り越えて正式に船頭として採用されました。
柏木陽介さんのサッカー選手時代の年俸について気になる方も多いと思います。この記事では、柏木陽介さんの過去の年俸推移と所属チームをまとめました。
柏木陽介・プロフィール(WiKi)
名前 | 柏木陽介 |
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生年月日 | 1987年12月15日(36歳)【2024年5月13日時点】 |
国籍 | 日本 |
出身 | 兵庫県神戸市須磨区 |
身長 | 176cm |
体重 | 73㎏ |
利き足 | 左 |
ポジション | MF |
最終学歴 | サンフレッチェ広島ユース(広島県立吉田高等学校) |
柏木陽介さんは兵庫県に住んでいたため、中学3年生の時にヴィッセル神戸ユースに進む予定でしたが、サンフレッチェ広島からスカウトされ、テストに合格して2003年に広島ユースに入団しました。
身長は176cmで、体重は73㎏あり、バランスの取れた体格をしています。中学時代は、自身が細身だったと述べています。
柏木陽介・所属チームの経歴
柏木陽介さんは、海外へ移籍した事はなく、国内のみのプレーになります。プレーしたチーム数は3チームと多くはないです。
所属チーム経歴
- 2006年(サンフレッチェ広島):480万円
- 2007年(サンフレッチェ広島): 720万円
- 2008年(サンフレッチェ広島):1,800万円
- 2009年(サンフレッチェ広島):2,200万円
- 2010年(浦和レッズ): 4,000万円
- 2011年(浦和レッズ):6,000万円
- 2012年(浦和レッズ):6,000万円
- 2013年(浦和レッズ):7,000万円
- 2014年(浦和レッズ): 6,000万円
- 2015年(浦和レッズ):6,000万円
- 2016年(浦和レッズ): 8,000万円
- 2017年(浦和レッズ):1億0000万円
- 2018年(浦和レッズ):1億0000万円
- 2019年(浦和レッズ):1億0000万円
- 2020年(浦和レッズ):1億0000万円
- 2021年(FC岐阜):不明
- 2022年(FC岐阜):不明
- 2023年(FC岐阜):不明
柏木陽介さんは2021年にFC岐阜に移籍するまで1度も年俸が下がることがありませんでした。この点は本当に素晴らしいと思います。
長年プレーしている選手は評価が下がることもある中、この結果は驚くべきものです!2021年にJ3のFC岐阜に移籍しましたが、年俸は公開されていません。J3での平均年俸は400万円以下と言われているため、大幅な減俸だったと思われます。もちろん、柏木陽介さんは優れた選手であると同時に、ファンをスタジアムに呼ぶ力も非常に高いため、広告塔としての価値も計り知れないものがあります。
そのため、J3でも他の選手よりも高い年俸を得ていると思われます。
浦和レッズからの退団理由
2020年には、新型コロナウイルス感染症拡大防止が叫ばれる中、グラビアアイドルの原幹恵と外食していたことがスクープされました。
そして、翌年の2021年には、キャンプ中に杉本健勇と沖縄で飲食店を貸し切って外食していたことが再びスクープされ、厳重注意と罰金、そしてトレーニングへの参加禁止処分を受けることになりました。
その結果、柏木陽介さんには移籍先を探してあげた上で浦和レッズを退団させるとチームは発表しました。これが退団理由となります。
引退理由
2021年にFC岐阜へ移籍し、2022年シーズンではチームのキャプテンに任命されました。
しかし、2021年10月2日の第27節福島ユナイテッドFC戦で右アキレス腱を断裂するという重傷を負ってしまいました。その結果、長期間の離脱を余儀なくされました。
その後、2023年11月11日に現役引退を発表しました。
まとめ
記事では、柏木陽介さんのサッカー選手時代の年俸推移をまとめましたが、年俸は浦和レッズを退団するまでの間、一度も下がることがなく右肩上がりでした。これは本当に素晴らしい実績であり、彼が優れたサッカー選手であることを証明しています。
彼は破天荒な一面もありますが、岐阜を盛り上げるために鵜飼を行うなど、熱い人間性を持ち魅力的な方です。
サッカー選手としてのキャリアは終わりましたが、今後のサッカー界での活躍に目が離せません!
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